人生の指針

頭を整理するために思ったことを書いてます

無趣味

 

 

 上記の2つの絵を買った。

Banksy展に行ってから、ずっとBanksyの絵を飾りたかったのだ。

なんともカラフルで可愛い絵だ。

部屋は青と白と焦げ茶で統一していたものが、一気に崩れ去った。

けれどもなんとも僕らしい部屋になった。

 

僕には趣味がない。なので毎回趣味を聞かれると返答に困る。

時折々に興味のあることはあるのだが、時期がすぎると、別のものに興味が移っている。

熱しやすく冷めやすいタイプなのだ。

一時期は美術館に行くのが好きだった。絵画も歴史も全くの無知だが。

これなんか好きだな、と思った絵の前に立ち、音声ガイドを聞く。それだけで理解できなければ、スマホで絵の題名を検索をする。

その話をすると、「なんで?何が良いの?」や「ぶってる。」と言われた。

自転車にハマっていたときは、「お盆休みの初日に、朝から大阪から京都の友達の家まで、自転車で行きました。」と言うと、「なんのために?」と言われた。

深夜の公園でバスケしています。「一人で?寂しい、どこ目指してんの?」と言われる。

どうやら、周りが納得できる理由がないと趣味にならないらしい。

それから趣味を聞かれると、手垢がベトベトの映画鑑賞と言うようにした。

そうすると大概「ふつう~」と言われた。

けど一つわかったことがある、こうやって人の趣味にとやかく言ってくるやつは、

大概大人数の飲み会で悪口言って。ストレス発散しているやつだ。

そういやつを無視して、深夜の公園でシュートが決まるとスッキリする。

 

けれどやっぱり何か趣味と言えるものを作りたい。

趣味の定義として"興味→好き→ハマる→趣味"だと思っている。

なのでまずは興味のあることから始めてみた。

アメフトに興味があった。NFLの試合をYoutubeでみてから、ハマり、

アメフトをやろうと思った。アメフトのボールを買い、一人公園に向かった。

ボールを投げ、自分で取りに行くことを繰り返した。

「これ、自分が動物園の檻の中に飼育されたとしても、やらないな」と思い。辞めた。

次に、絵画に挑戦した。キャンパスと絵の具を持ち、また公園に向かった。

描けそうなスペースを発見し、ベンチに腰を掛け、絵を書き始めた。

自分の絵のセンスにびっくりした。けれど、アートとは見る人によって捉え方が違うものだ。そう思い友人に写真を送って見せた。友人からの返信は「ごめん、よくわからん。」

数人から同じ内容が来た。辞めた。

 

そもそも本当に趣味なんて必要なのか。

趣味は時間のある老人の楽しみだ。

若者は楽しんだ挙げ句、趣味にはせず自然にそれを極めようとするのではないか?

と思った。そうかなら僕は趣味がなくて良いんだ。

 

あれ?ちょっと待て、僕は何も極めてないぞ、プロではないぞ。

かくして僕の思考は振り出しに戻った。

今週末僕は"興味→好き"という領域に達している、スノボーに行く。

 

 

 

評論家気取り

映画が大好きだ。辛いことや一人になりたいときは、学校をサボって映画館に行っていた。

見たい映画があるわけでもない、それでも一人になりたいときは、映画館に足を運んだ。

ポップコーン塩味とゼロコーラの氷少なめセットを持って、席につく。

見終わった後、僕は主人公と同じで、世界を救い、ヒロインと恋をしていた。

 

僕は悦にはいってると思われるかもしれないが、洋画しか見ない。

邦画を全く見ないとかではないが、ほぼ見ない。

 

洋画と邦画で毎回思う大きな違い。

それは、洋画の主人公は大体大人なのだ。もちろんスクール物も存在するので、全部ではないが。

けれど、恋愛映画にしろ、ヒーローものにしろ、大人が活躍する。

バリバリ、仕事をし、気の合う仲間と酒を交わし、恋をする。

それに、学生を学生として扱っている。

 

僕が印象的なのは「アベンジャーズ」シリーズで、高校生のピーターパーカー(スパイダーマン)

を戦いに参戦させないようにする、トニースタークだ。

映画の中で何度も、「家に帰れ」といい、ピーターがそれを聞かずに、戦いに入ってくるというものだった。

どれだけ強大な力を持っているにせよ、やはり高校生なんだな。と考えさせられた。

 

それに比べ邦画は、高校生が主役だ。ひょんなことから世界の命運を握る高校生。

それが小学生や幼稚園生のときもあるくらいだ。そしてその敵は毎回大人なのだ。

大人の邪悪な野望を純粋無垢な子供が正す。のが多い流れだ。

 

まるで、大人は間違っていて、子供が正しい。と言っているようなものだ。

そして、まるで人生の主役は子供と言わんばかりだ。

そして多分僕は邦画の映画が眩しかったのだと思う。

キラキラした青春を送り、部活動、恋愛に勤しみ

自分のやりたいことを見つけひたむきに努力をする。

そんな映像が眩しくて、遠ざけていたのだと思う。

 

そして僕は、評論家気取りのように、邦画は面白くない。

あんなの、美男美女しか務まらんやん。と周囲と話していた。

類は友を呼ぶとはよく行ったもので、友達も「わかるわ、なんか見てられないんよな。」

と話していた。

Twitterでも検索すると同じようなことを言っている意見が多かった。

 

その瞬間僕は、ふと我に返った。僕はどの目線から、評価しているのだろう。

消費者として?映画好きとして?

 

そういえば、寮の食堂で、お笑いの番組が流れていた時に、

出ている芸人さんの漫才が面白いなと思っていたら、先輩が「今のは間が悪い。」「笑い待ちが下手だ。」「ツッコミに切れがない。」そう言っていたのを思い出した。

その時の僕は、何様だ。お前の話のほうが面白くないわ、愛想笑いで調子に乗るなと本気で思った。

あのときの先輩と同じではないか。

 

自分はなんにも行動もしないくせに、上から目線で他人のことを評価する。

そうすることで、他人の目が気になり、言いたいことが言えない、行動したくてもできない。

同調圧力や、空気の読み合いになっていしまい、息継ぎしにく世界になっていくのだと思った。

世の中にはしょうもない評論家気取りが増えている。

 

ハロウィンの時期に、仮装する人を見るたびに「痛いな」と思っていた。

その時にふと再度我に返り、仮装する人を評価することで、その人達より上に立った気でいないか?といった疑問が浮かんだ。自分はこの世界から外れた世界の住人で、

外の世界から評価して、優越感に浸っているのではないか?

 

翌年の高校3年生の時に、ゴーストバスターズの格好をして

ハロウィンの日にユニバに行った。

これがイベントごとに参加することか、少し恥ずかしかったが、

普通に行くユニバよりも楽しかった。

その翌年は全員で服を揃えて、ユニバに行った。

この世界の住人になれた気がした。

その挙げ句、調子に乗ってしまし、ユニバのスタッフに怒られた。

そしてスタッフさんが「20代男性グループ、注意しました。」

と、インカムでいっているのが聞こえた。

仮装をしたからだな、老けて見えたのは。

最近のカフェ事情

カフェで作業するのが好きだ。 集中できるし、周りの人の会話はおもしろい。 最近の女性は性に対して寛大なのか、 昼でも夜でも関係なく良く夜の営みについて話が聞こえる。 (ご飯行きますー、Bar行きますー、ワンナイトしますー)

という会話がそこそこの声の大きさで聞こえてくる。 そんな事があってもカフェが好きだ。

英語の勉強をしようと思い、サンマルクに行った。 店内に入り、ロイヤルアイスミルクティーを注文した 「サイズは何になさいますか?」
「Sで」

「当店はワンサイズなんです、380円です。」 なんで聞いたんだろう。

根はいいやつ

中学校の頃、ヤンキーとよく行動していた。

昼休みになると集団の一人がクラスまで迎えに来て、「理樹、図書館行くぞ」そう言われ、

リードに繋がれた犬のように自分の意志はなく、連れて行かれる。

昼休みは、毎日のように図書館に足を運んだ。友達とミッケをしたり、図書委員専用の仕事である、

貸し出しのバーコードを読み取る仕事をさせてもらった。司書の先生とも仲良くなり、おすすめの本を紹介してもらい、毎朝の朝読で読み勧めていた。そのかいがあってか、有名な小説はだいたい網羅した。僕が仲良かったヤンキーたちは、授業に出ずに監視役の先生がいる根っからのヤンキーではなく、授業には出席し、授業崩壊を引きおこす、面倒くさいタイプのヤンキーだった。

中学校3年次は受験も控えているのに、授業は荒れていた。

ヤンキーたちは野球推薦で高校が決まるタイプの人たちなので、授業の成績などは関係なかった。

 

そんななか僕はというと、テストの点は80点平均の400点、体育の成績はAバッジ(Aバッジはその県特有のものらしい,体力テストで一定数の点を取ればもらえるというもの)いわば器用貧乏な奴だ。

それでも内申点は3か4。提出物を全く出していないからだ。

もし自分が先生ならば、こんな生徒は大嫌いだ。授業はあんまり聞かず、提出物は出さない。

けれどテストの点はそこそこ良い。

 

ヤンキーとつるんでいたことや日々の行いが原因で、勉強ができないやつとレッテルを貼られたこともあった。なので僕テストの点だけを見ると、「意外に賢いんだ。」といった評価が下される。

その結果、「あいつは根はいいやつなんだけど」「根は真面目何だけどな」とよく言われていた。

 

果たして、「音はいいやつ」は本当に良いやつなのか?「根は真面目なやつ」は本当に真面目なやつなのか?

本当に良いやつなら、授業はちゃんと聞くだろうし、根が真面目なやつなら、提出物もちゃんと出すだろう。ならばなぜ根はとつけるのか。多分それは、大人から見れば悪ぶってるやつ。に見えるのだろう、ヤンキーとつるむ無理をしているあの子。身の丈にあっていないことをしているのだろうと先生たちは心配していたのだろう。

本当の君はそっちの世界ではないよ。「根はいいやつ」と言われるたびにそう言われてるような気がしてた。

中学3年生、先生たちが望んでいた僕が現れた気がする。受験を控え、成績を上げるために、真面目に生活をした。授業を聞き、発表をし、提出部を出した。テストの点は大して変わらなかった。

授業では、ヤンキーが荒らす。僕は参戦しない。その結果相対的に内申点があがっていた。

ヤンキーたちを利用したのだ。

3,4平均だった内申点は全ての教科で5に近い結果だった。(音楽だけ4だった。音痴だった。)

しかし、その結果虚しく、高専の推薦は落ちてしまった。学校の先生は「お前は一般で受かる。」そう言い続けてくれた。

そのかいもあってか、一般で合格した。

先生たちは「やっぱ、お前は一般で受かると思っていた」 「そもそも推薦は期待してなかった。笑」と嬉しい言葉をかけてくれた。そのときには「根はいい子」と言われなくなっていた。

高専の合格は他の人地たちより早く決まるので、他の人達より早く受験勉強から開放され自由が来た。

僕はまたヤンキーとつるみ始め、音楽の時間に野球をしたりしていた。

「根はいい子なんだけど、、」その言葉がまた聞こえるようになった。

文章の才能

 

 

卒業アルバム用の写真は笑顔が決まりだ。

僕の学校には専門のカメラマンが来て、一人ずつ撮っていく。

「笑顔硬いよ~もっと笑って~」とカメラマンの声を何度も聞いた。

僕らのクラスはお笑い担当みたいなやつがいたので、そいつが孤軍奮闘しながら、

カメラマンの後ろで笑わせていた。

僕もおちゃらけて笑かそうと思ったが、全く笑いが起きなかった。

これがすべるということか。

もうむちゃするのやめよう、身が持たない。(それからはツッコミをメインとした。)

ようやく、僕の出番が来た、満面の作り笑いをカメラに向けた。

「おぉ!いい笑顔だね!」と褒められた。

他の人は2,3分かかっていたのを、僕は1分もかからず終わった。

僕は作り笑いがうまいのかもしれない。そう思いながらクラスに戻った。

クラスに戻るやすぐに、卒業文集の作成だ。

僕の名字はや行なので、最後の方に教室に戻る。クラスの扉を開けると"カリカリ"と鉛筆を描きすすめる音しか聞こえなかった。

卒業文集か、何を書こう。楽しかった修学旅行?運動会?将来の夢?

いやいや今もだがその時から夢はなかっただろう?

思い出せ、幼稚園年少の誕生日の時に、保護者たちに囲まれ、何になりたいかを聞かれた時に

トイザらスの店員」と発表し笑われたことを。

なぜ笑われたんだろう、今となってわかる。夢はキラキラしていないと、手が届かない夢でないと夢と言ってはいけないのだ。

僕の言った「トイザらスの店員」は夢にするには、あまりにも手が届く内容だった。

だから大人は笑ったのだ。それから僕の夢はプロサッカー選手。バスケの監督。料理人。

簡単に手が届く内容のものではない夢を語った。理由は大人が喜ぶからだ。

けれど実際、表面上の夢を語らえば語らうほど、自分の夢が自分自身がわからなくなった。

卒業アルバムに映る自分の笑顔は本物なのか。早く終わらせたくての作り笑いなのか。

それすらもわからなくなった。

結局、作文には将来の夢と題し「バスケの監督」と書いた。

なんとか書き上げて、先生に提出をした。後日、先生から添削があり全員に返却される。

そして、書き上げた文集が返却される。返却される日に僕は風邪で学校を休んでいた。

次の日、風邪が治り、学校に行くと「お前だけらしいぜ、すごいな。」と友達に言われた。

休んでいたから何の話か分からなかった。

聞くところによれば、僕が休んだ日に、先生が添削した文集を返却した際に「安田くん以外は、やり直し」と言っていたそうなのだ。

ぼくの文集が先生からの添削がなく返却された。「やっぱり安田くんの作文はいいね。」

なんとも複雑な気持ちだ。嘘で固めた卒業文集が評価されたのだから。

確かに、何度か担任の先生に、文章力がいいと褒められたことがあった。

評価されたのは、内容なのか、文章力なのか、わからない。

結局自分の力を自分のことを一番理解できなければならいのは自分なのに

僕は自分がよくわかっていない。僕に文章の才能があるのかもしれない。けれど自分ではわからない。そう思いながらこの文章を書いている。僕は自分自身の可能性や才能ではなく。先生の言葉を信じて見ることにした。

他の生徒は僕が休んでいる間に、修正を終え、清書まで終わらせた人も何人かいたが、

大半はこれから清書にはいるという段階だった。ごく僅かだが、下書きを修正している人もいた。

早く清書を終わらせて、自由時間にしよう、と思い。筆ペンを走らせる。

ようやく、清書を終え、担任の先生に提出をし、Okサインが出た。

僕は席に着き、一息ついた。

そしてすぐさま、先生が登壇し一言

「ようやく全員揃いましたので、授業を終わります。」

たとえ僕に少しでも文章の才能があるにしても。清書の才能は1mmもないようだ。

世間と高専の関係性

制服が嫌いだった。女の子たちがあの学校の制服が可愛いから、あの高校を受験するという話を聞いて。「こいつら、正気か?」と本気で思っていた。

けれどよく考えれば近くに、私服の高校はないので、毎日着るものなら可愛いほうがいい。

華のJK時代を着たくもない制服で飾るより、可愛い制服を着て青春するほうがよっぽど理にかなっている。

そんな中。僕は私服の学校を選んだ。家からは通えない距離の学校、親元を離れ寮生活を送った。

はじめは私服投稿に満足をしていた。毎日違う服が着れる。縛られなくてすむ。

心が自由な気がした。

だが、徐々に生活リズムが崩れていく。気がつけば毎日同じジャージで登校していた。

朝服を選ぶのが面倒くさい。そんな時間があるならギリギリまで寝ていたい。

遅刻すると思えばパジャマで学校にも行った。

(もちろん洗濯はしている。)

 

そもそも何故制服ってあるのだろうか。なぜ第一ボタンまで締めなくてはならないのか。

なぜスーツをきて、ネクタイを締めるのか。

制服の存在そのものを否定したかった。

制服やスーツを少し洒落にアレンジして、個性を出そうとするのは、せめてもの抵抗なのだろうか。

僕には理解ができなかった。

 

僕は中学時代、風紀委員を務めていた。

中2の頃授業中に漫画を読んでいて、

先生に当たり前のように叱られ、「来季は風紀委員させません。」とまで言われた。

来季に当たり前のように立候補をし、土下座をして風紀委員になった。

 

僕は風紀委員会にて

「制服ではなく、私服にしましょう。そうすれば僕たちが制服チェックをしなくてすみます。」

僕の叫びは虚しく、風紀委員会と書かれた黒板に吸収されてしまった。

後ろから隣のクラスの風紀委員が「私服にしたところで、どうせやることは変わらない、

私服チェックとか言って、服装違反の規則が増えるだけだよ」

いや、私服なんだからどんなんでもいいだろう、規則を設けないための私服なんだろうが。

という言葉を飲み込んで「確かに。」と同意した。

 

制服を好む人、疑問を持たない人は、社会からあぶれるのが怖いんだ。

だからみんなと同じ制服を着て、目立たないようにするんだ。

けれどそれが集団としての正しい行動なんだ。それこそが社会の象徴なんだ。

無言の圧力。同調効果。これを乱すものは、「空気が読めない」 「変わり者」と一蹴され、

社会不適合者のレッテルをはられる。だからこそ他人の目を気にするんだ。

他人とは誰なのか。「あの人昨日やらかしたらしよ。」「あの人SNSでこんなこと言ってた」

「あの人付き始めたらしいよ」

他人とは、あの人とだれなのか。それは世間だ。

この国の人は良くも悪くも世間を気にする。(自分も含めて。)

それが故に、ライフラインが整備され、道がきれいであるのだ。

世間を大切にすれば、自分も世間に守られる。

世間を一瞬でも裏切れば、大変なことになる。

 

しかし、パジャマで学校に行ったときや、ほぼ毎日ジャージで通っていたとき、

学校があるのに朝まで人生ゲームをし、夕方に起きバイトに行く生活をしていた時は、

世間から隔離されていた気がする。

もしかしたら、高専の領地は世間の支配が及ばない、治外法権の領域なのかもしれない。

フォレスト・ガンプ

 

お金持ちになりたかった。

子供の時にイメージしていたお金持ちとは、

大きな家に住み、車を持ち、好きなものが好きな時に好きなものが買え、海外旅行に何度も行ける。

いわばドラえもんスネ夫みたいな感じだ。

 

お金さえあれば、自由であり、無敵なんだ。

マリオのスター状態で人生を駆け抜けていける。

本気でそう思っていた。けれどお金持ちとまではいかないが、多少のお金を稼ぐようになって

わかった。簡単に物が手に入るのは、なぜか満足感がない。

 

高校生の頃に必死にバイトして、食べ放題の焼き肉を食べに行った時に

心から「よっしゃ!!うまい!」と思った。

一方で、社会人になり、毎月一定のお金が入ってくるようになり、

欲しいものは何でも手に入るようになり、叙々苑を食べに行った時に

あのときほどの感動はなかった。

(もちろん味は格別に違った)

 

僕はすごい不思議に思った。

叙々苑のほうが断然に美味しかったのに、なぜ昔のほうが感動したのか。

 

 

多分僕は、何かを必死になってこなした後に待っているご褒美が嬉しいのだ、

(ホクに限らず大抵はそうだと思う)

 

だから、もし僕がお金持ちにっても幸せではないのかと思う。

もちろん必死に働いた結果出てくるお金ならば話は別だ。

 

けれど今の僕はそこまで必死ではない。

なぁなぁで仕事をしお金がもらえ、それで欲しい物を手にしている。

これだと幸せにはなれない。

 

だから僕は今満たされていないのだ、仕事にもプライベートにも

目標がないから、超えるべき高い壁がないから。

 

ならばその壁を作ればいいだけなのだが、これがまた難しい。

 

そこで僕は「TED TALK」で聞いた夢日記となるものをつけ始めた。

寝るときに見た夢を記すものではなく、

最終ゴールから逆算して明日は何をするかまでを考えるということだ。

最終ゴールを何にするかだ。

最終人生のゴールは死なのだから、死ぬ時の話か。

弔事で読まれたいことについて考えるか、と思い考えた。

“いつも笑顔で、人生を楽しそうに生きていた。友達を大切にし誰の悩みに対しても真摯に捉え、あなたの周りにはいつも人がいた。あなたのような人になりたかった。”

ぼくはそう言われたいのだ。

ゴールが決まれば後は人生を逆走していくだけだ。

書き始めると、ペンが止まらなかった。

最終ゴールだけではなく20年後からのも作ってみた。

 

僕の明日のタスクは「笑顔で挨拶をすること」と「フォレスト・ガンプを見直すこと」だった。

最終ゴールはフォレスト・ガンプだった。