人生の指針

頭を整理するために思ったことを書いてます

根はいいやつ

中学校の頃、ヤンキーとよく行動していた。

昼休みになると集団の一人がクラスまで迎えに来て、「理樹、図書館行くぞ」そう言われ、

リードに繋がれた犬のように自分の意志はなく、連れて行かれる。

昼休みは、毎日のように図書館に足を運んだ。友達とミッケをしたり、図書委員専用の仕事である、

貸し出しのバーコードを読み取る仕事をさせてもらった。司書の先生とも仲良くなり、おすすめの本を紹介してもらい、毎朝の朝読で読み勧めていた。そのかいがあってか、有名な小説はだいたい網羅した。僕が仲良かったヤンキーたちは、授業に出ずに監視役の先生がいる根っからのヤンキーではなく、授業には出席し、授業崩壊を引きおこす、面倒くさいタイプのヤンキーだった。

中学校3年次は受験も控えているのに、授業は荒れていた。

ヤンキーたちは野球推薦で高校が決まるタイプの人たちなので、授業の成績などは関係なかった。

 

そんななか僕はというと、テストの点は80点平均の400点、体育の成績はAバッジ(Aバッジはその県特有のものらしい,体力テストで一定数の点を取ればもらえるというもの)いわば器用貧乏な奴だ。

それでも内申点は3か4。提出物を全く出していないからだ。

もし自分が先生ならば、こんな生徒は大嫌いだ。授業はあんまり聞かず、提出物は出さない。

けれどテストの点はそこそこ良い。

 

ヤンキーとつるんでいたことや日々の行いが原因で、勉強ができないやつとレッテルを貼られたこともあった。なので僕テストの点だけを見ると、「意外に賢いんだ。」といった評価が下される。

その結果、「あいつは根はいいやつなんだけど」「根は真面目何だけどな」とよく言われていた。

 

果たして、「音はいいやつ」は本当に良いやつなのか?「根は真面目なやつ」は本当に真面目なやつなのか?

本当に良いやつなら、授業はちゃんと聞くだろうし、根が真面目なやつなら、提出物もちゃんと出すだろう。ならばなぜ根はとつけるのか。多分それは、大人から見れば悪ぶってるやつ。に見えるのだろう、ヤンキーとつるむ無理をしているあの子。身の丈にあっていないことをしているのだろうと先生たちは心配していたのだろう。

本当の君はそっちの世界ではないよ。「根はいいやつ」と言われるたびにそう言われてるような気がしてた。

中学3年生、先生たちが望んでいた僕が現れた気がする。受験を控え、成績を上げるために、真面目に生活をした。授業を聞き、発表をし、提出部を出した。テストの点は大して変わらなかった。

授業では、ヤンキーが荒らす。僕は参戦しない。その結果相対的に内申点があがっていた。

ヤンキーたちを利用したのだ。

3,4平均だった内申点は全ての教科で5に近い結果だった。(音楽だけ4だった。音痴だった。)

しかし、その結果虚しく、高専の推薦は落ちてしまった。学校の先生は「お前は一般で受かる。」そう言い続けてくれた。

そのかいもあってか、一般で合格した。

先生たちは「やっぱ、お前は一般で受かると思っていた」 「そもそも推薦は期待してなかった。笑」と嬉しい言葉をかけてくれた。そのときには「根はいい子」と言われなくなっていた。

高専の合格は他の人地たちより早く決まるので、他の人達より早く受験勉強から開放され自由が来た。

僕はまたヤンキーとつるみ始め、音楽の時間に野球をしたりしていた。

「根はいい子なんだけど、、」その言葉がまた聞こえるようになった。