人生の指針

頭を整理するために思ったことを書いてます

評論家気取り

映画が大好きだ。辛いことや一人になりたいときは、学校をサボって映画館に行っていた。

見たい映画があるわけでもない、それでも一人になりたいときは、映画館に足を運んだ。

ポップコーン塩味とゼロコーラの氷少なめセットを持って、席につく。

見終わった後、僕は主人公と同じで、世界を救い、ヒロインと恋をしていた。

 

僕は悦にはいってると思われるかもしれないが、洋画しか見ない。

邦画を全く見ないとかではないが、ほぼ見ない。

 

洋画と邦画で毎回思う大きな違い。

それは、洋画の主人公は大体大人なのだ。もちろんスクール物も存在するので、全部ではないが。

けれど、恋愛映画にしろ、ヒーローものにしろ、大人が活躍する。

バリバリ、仕事をし、気の合う仲間と酒を交わし、恋をする。

それに、学生を学生として扱っている。

 

僕が印象的なのは「アベンジャーズ」シリーズで、高校生のピーターパーカー(スパイダーマン)

を戦いに参戦させないようにする、トニースタークだ。

映画の中で何度も、「家に帰れ」といい、ピーターがそれを聞かずに、戦いに入ってくるというものだった。

どれだけ強大な力を持っているにせよ、やはり高校生なんだな。と考えさせられた。

 

それに比べ邦画は、高校生が主役だ。ひょんなことから世界の命運を握る高校生。

それが小学生や幼稚園生のときもあるくらいだ。そしてその敵は毎回大人なのだ。

大人の邪悪な野望を純粋無垢な子供が正す。のが多い流れだ。

 

まるで、大人は間違っていて、子供が正しい。と言っているようなものだ。

そして、まるで人生の主役は子供と言わんばかりだ。

そして多分僕は邦画の映画が眩しかったのだと思う。

キラキラした青春を送り、部活動、恋愛に勤しみ

自分のやりたいことを見つけひたむきに努力をする。

そんな映像が眩しくて、遠ざけていたのだと思う。

 

そして僕は、評論家気取りのように、邦画は面白くない。

あんなの、美男美女しか務まらんやん。と周囲と話していた。

類は友を呼ぶとはよく行ったもので、友達も「わかるわ、なんか見てられないんよな。」

と話していた。

Twitterでも検索すると同じようなことを言っている意見が多かった。

 

その瞬間僕は、ふと我に返った。僕はどの目線から、評価しているのだろう。

消費者として?映画好きとして?

 

そういえば、寮の食堂で、お笑いの番組が流れていた時に、

出ている芸人さんの漫才が面白いなと思っていたら、先輩が「今のは間が悪い。」「笑い待ちが下手だ。」「ツッコミに切れがない。」そう言っていたのを思い出した。

その時の僕は、何様だ。お前の話のほうが面白くないわ、愛想笑いで調子に乗るなと本気で思った。

あのときの先輩と同じではないか。

 

自分はなんにも行動もしないくせに、上から目線で他人のことを評価する。

そうすることで、他人の目が気になり、言いたいことが言えない、行動したくてもできない。

同調圧力や、空気の読み合いになっていしまい、息継ぎしにく世界になっていくのだと思った。

世の中にはしょうもない評論家気取りが増えている。

 

ハロウィンの時期に、仮装する人を見るたびに「痛いな」と思っていた。

その時にふと再度我に返り、仮装する人を評価することで、その人達より上に立った気でいないか?といった疑問が浮かんだ。自分はこの世界から外れた世界の住人で、

外の世界から評価して、優越感に浸っているのではないか?

 

翌年の高校3年生の時に、ゴーストバスターズの格好をして

ハロウィンの日にユニバに行った。

これがイベントごとに参加することか、少し恥ずかしかったが、

普通に行くユニバよりも楽しかった。

その翌年は全員で服を揃えて、ユニバに行った。

この世界の住人になれた気がした。

その挙げ句、調子に乗ってしまし、ユニバのスタッフに怒られた。

そしてスタッフさんが「20代男性グループ、注意しました。」

と、インカムでいっているのが聞こえた。

仮装をしたからだな、老けて見えたのは。