価値観と本音
「価値観が違うから」という人が嫌いだ。
人と人が議論をする際に、価値観が違うことを前提に話をしなければならない。
それでも、自分の意見が否定されたら、「俺とお前は価値観が違うんよ」という人がいる。
だから、議論や会話の中で、その言葉が出てきたら、僕は「価値観が違うなら、この会話や議論も意味ないね。」と言い議論や会話を切り上げていた。
何を言っても価値観が違うのだから。
そもそも価値観が違うことなんて、前提条件だと思っていたからだ。
中学生の時にならう、合同条件の証明する時の仮定と同じだ。
“価値観が違うことを前提とし、この会議の結論を導き出せ。"とでも言わなければわからないのだろうか。
僕は、高専時代に、文化祭の実行委員を4年次のときだけやった。当日は参加できなかったが。
当時の友達が実行委員長をしていて、3年次のときから自分たちがメインとして動く、
来年の文化祭に向けての準備で頭を抱えていたので、相談に乗っていた。
ある日、授業が終わり、寮に戻ろうとしていたら、実行委員長が「今日16:30から選択教室1に来て」と言われた。何があるのかも知らずに、時間より少し前に教室に向かった。
そこでは、文化祭実行委員が何人か集められていて、
僕は気がついたら委員会に入会し会議に参加していた。
毎月の定例会議で、体育館に野外フェスのようなステージを建てる話になった。
毎年お願いしているところは、学校がある時間にバイトにこさせるし、ステージを建てるお金が異様に高かった。そして、バイトに出てくれる人が少なく、委員長が学校をサボってバイトに行っていた。そのバイトのことで毎度喧嘩をしていた。
(僕は一度も行かなかった。)
そして、それに異を唱えた数名が他の会社で見積もりを取ると、半額以上の値段で、バイトもなしでステージが建てれた。
しかし、自分の代で失敗することを恐れた数名がそれを断固拒否し。しばしの冷戦となった。他にも様々なことが重なり、実行委員が大きく割れ始めた。
そういった雰囲気の中で委員会の定例会議や各部署の個々での話し合いが行われていた時に、僕は同じ部署の人達と話していると、
委員の誰かが、「お前とは価値観が違うんだよ。」と声を荒げていた。
委員会が行われていた、教室は静まり返った。
そして僕たちは「価値観が違うことなんて、前提条件なのにね」「そんな事言われたら、何も言えんよね」と部署の人たちと話をしていたら、
声を荒げた委員の人がこちらを”ギロッ"と睨み教室から出ていった。
価値観が違う。この言葉は使うのは簡単だし、凡庸性もある。
けれど、殺傷能力が高い言葉なので、僕は使わないようにしている。
他人の価値観についても否定も肯定もしないようにしている。
触る神に祟りなしだ。
けれど時々、自分の価値観って??と思う時がある。
そんな時僕は、喫茶店でロイヤルミルクティーを頼み、腕組をして
疑問を抱いている先輩の価値観、親や兄弟の価値観、友人の価値観
隣の席で愚痴を吐き続けている、見ず知らずの価値観を徹底的に否定してる、
そうすることで、自分の価値観を浮き彫りにし、本音の再確認をしている。
一段落し、価値観を浮き彫りにし、本音の再確認が済んだら、
毎回の宿題である解けない難問に取り掛かる。
「価値観が違うから。」これに対する適切な返答を。