人生の指針

頭を整理するために思ったことを書いてます

勉強をする理由

様々なことに疑問持っていた。

「なぜ、制服を着るのか。」「なぜ、勉強をするのか。」

「なぜ三角形の内角の和は180°なのか。」

先生が数学の時間に、「三角形の内角の和は180°です。」

という発言に対して、疑問を持っていた人はクラスに何人いたのだろうか。

授業が終わり、クラスで一番頭の良かった子に、「三角形の内角の和が180°ってなんでなんだろうね。」と聞いたら、「そういうもんなんじゃない?」と言われた。

 

なるほど。他の生徒はそういうものと言うことにして、疑問に持たないようにしているのか。

けれど僕は疑問だった。そういうことにして良いのだろうか。学校の先生にこういう話をすると、

「そういうものなのだから、そう覚えていたら良いよ。」と言われた。

覚えるために、理解しようとしているんだろうが!と内心怒りを覚えたが、

「わかりました。」という言葉をお礼代わりに伝えた。

 

僕は小学校6年生の頃から塾に通っていた。

僕は塾の先生が好きだった。

何でも答えてくれるからだ。先生は博識で、優しい人だと印象だった。

中学生にもなると、周りの生徒は有名な進学塾に通っていた。

けれど、僕と友人数人は、夫婦で営んでいる、こじんまりとした個人塾だった。

集団で受けるのではなく、個人で英語、数学を45分ずつ受けた。

先生の奥さんは元英語の教師だったので、英語を担。

先生は数学がメインだが、やりたいことがあればそっちを優先的にしてくれた。

他の塾とは違いありがたいことに融通が効いた。

塾の場所も夫婦の実家で、中学校から徒歩5分もかからなかった。

受験シーズンやテスト週間には、学校帰りにコンビニに寄り、おやつや冬にはおでんを買い、

たまり場として集まっていた。

徒歩通学だが、塾に自転車を止めて通学していたこともあった。

 

先生は、僕たちの代をうるさかったけど、一番思い入れのある代と卒業式の日に言ってくれた。

確かに、勉強に来ている真面目な小学生がいるのに、

自分たちのことで騒ぎ散らかし、怒られることもあった。

そのたびに勉強に来ている小学生に、こんな中学生にはなったらだめだよ。と言っていた。

けれど、その発言をする先生の声は嬉しそうだった。(あきらかに怒りのときもあったが)

 

先生は自作のPCゲームで、英単語を入力したり、理科、社会の穴埋め問題を作ってくれた。

しかも、それは満点の場合、タイムが乗り、最速の人は名前が刻まれる。

負けず嫌いの塊であった、僕たちの代はその勉強方法に夢中になった。何度もとき直し、タイムを競い、名前を更新しあっていた。

 

そのかいもあってか、僕たちの代は全員志望校に合格した。

 

僕は、先生に様々な疑問をぶつけていた。先生はその都度、「確かに。」とうなずきながら、

数学の時間を削りながら答えを解説してくれた。

「三角形の内角の和の証明」をわかりやすく示してくれたり、

「制服を着ることになった歴史」を説明してくれた。

数学や理科のことだけでなく、時事問題にも詳しく教えてくれた。

その日に答えられないことは次の日には理解し解説してくれた。

多分先生は、僕の人生で出会った人の中で一番頭が良い。(暫定ではあるが)

 

僕は先生に世界の疑問を嘆き、説いてもらい、自分の中で咀嚼し、

こういうことですか?返す。先生は「りきくんは賢いな。」と褒めてくれた。

 

なぜ、勉強をするのかの答えは自分で見つけることができた。

 

「先生!!勉強するということは動揺を抑えますね。」

「それが勉強をするということだね。」