やらない後悔より、やる後悔

試合終了を告げるブザーが鳴った。2分割される世界。

勝者は喜び、敗者は悲しむ。

僕たちは後者だった。

チームの中でも涙を流す人もいる。当然だ。負けたのだから、悔しいのだから。

けれどそれだけではない。僕たちの小学校のバスケが終わりを告げた。

 

小学4年時に4年間続けてきたサッカーを辞めた。小学校5年時は朝から夜まで、友だちと遊び続けた。

木曜日の夜は、幼稚園の頃からの友達が家に来て、一緒にアニメを見たりゲームをした。

その友達と僕の姉は、近くのバスケクラブに所属しており、友達のお母さんはコーチをしていた。

だから、友達は僕の家でその時間を過ごし、一緒に姉を迎えに行き、解散するのだ。

けれど、ある日を境に友達が来なくなった。毎週の楽しみであった、木曜日の夜は何食わぬ日へと変わり果てた。一方でその友達は木曜日がより輝かしいものになっていた。

彼は姉たちと同じバスケクラブに入部した。

僕は毎週姉の迎えついでに、バスケの見学をしていた。見学というより、練習が終わった後に、バスケットボールでサッカーを始めた。そのバスケクラブは男女で監督が違う。

ある日、いつものようにサッカーをしていると、男子の監督が1VS1を申し込んできた。

男子の監督だが、女性だった。けれどその監督はめちゃくちゃに熱血だった。

僕は、1VS1を受けた。密かに姉についてバスケの練習をしていたので、正直勝てると思っていた。(これは甘い見積もりだったと今でも思う。)

 

僕はぎこちない感じで右手でドリブルを始めた。そして少しずつ進んでいき、タイミングをみて右手でバスケットボールを囲いながらのロールで抜き去ろうとした。

目の前にはリングしか見えなかった。

勝ったなと思ったのもつかの間、正面を向いた僕の体から、ボールは離れていた。

気がつくと監督がボールを奪い、きれいなレイアップシュートを決めていた。

「全然だめじゃな。」そう言われ、監督は立ち去った。

僕は愕然とした。勝てると思っていた、相手にこんなにも屈辱を味わわされるなんて。

僕はバスケなんてやらないと決めた。才能がないと思ったからだ。

けれどもどこか、心でふつふつと湧き上がるものを感じた。監督を倒したい。その思いだったと思う。

そして僕は、友達の誘いや、親の助言もあり、僕はバスケを始めた。

その頃には監督を倒したいと思いはなく。素直に尊敬していた。

僕は小学5年時の終わりにバスケを始めた。その年に1個上の世代が全国大会に出場した。

初めての偉業だった。僕の友達は背が高く、努力をして試合に出れるようになっていた。

その時に僕はスタートダッシュが遅れたことに後悔もした。

全国大会に出場するということは、引退が伸びる。つまり新チームのスタートが遅れるということだった。もちろん僕たちの代の人とたちも試合に出ていたので、いい経験になったと思う。

僕はそのときには初心者ということもあり、低学年の子たちと基礎練習をしていた。

全国大会が終わり。ようやく僕たちにスポットライトがあたった。僕の友達はキャプテンになった。(これが後にさまざまなことを巻き散らかす。今回は記述しない。)

僕も2Qだけ試合に出れるようになった。ミニバスは中学高校と違い、1人最大3Qまでしか出れない。

つまり1Qに出る人。2Qに出る人。3Q、4Qに出る人がいる。(基本3Q,4Qはそのチームのベストメンバーが出る。)

僕は2Qしか出れなかった。2Qでは友達も一緒だった。

けれど基礎もない僕はミスも多く。うまく行かなった。呆れた監督は5人ででていたが、

友達と僕の代のもうひとりの友達2人で試合をするように指示をした。

僕たちにボールを触らせず、二人でパス交換をして試合を進めた。

屈辱だった。いやそれ以上だった。もうやめようとまで思った。

試合に出るのは人数合わせのためだった。そう思えるほどの試合だった。終わった後も、保護者に怒られる。「あんたがだめだから、あんな感じになったんよ。あんたのせいよ。」

大げさかもしれないが、死にたかった。誰も励ましてはくれないし、慰めもなかった。

僕たちは小学校の昼休みや放課後に、みんなでバスケをしていた。

その試合以降、僕はそこに顔を出せなかった。

 

昼休みも教室にこもり、放課後も家にこもった。

友達は心配して家に来てくれた。みんなで話して。努力をすることにした。

たくさん練習に付き合ってくれた。

(今でもみんなのことが大好きだが、それはこの日からだったと思う。)

僕は、基礎がなっていないので、ドリブルとかではなく、

誰よりも走り、DFで貢献することを心に決めた。

 

そのかいがあってか、どれだけ暑い夏の日でも、

監督やコーチから「理樹が一番走っている。」や「理樹が一番DFうまい。」とまで言われるようになった。そして3Q,4Qも試合に出れるようになっていた。

僕は友達を信用して、リバウンドを取る前から、相手ゴールに走り、友達に投げてもらい、

速攻でレイアップを沈め、幼稚園からのホットラインが完成した。

DFでは相手のエースをマークし、相手チームがリズムに乗れないようにした。

 

そして、ある程度なれてきた頃にドリブルが少しでき、相手を抜けるようにもなった。

僕たちは県大会や他の県の大会でも良い結果を残せるようになった。

(優勝こそなかったが、2位にはなったことがあるくらい)

 

そして最後の試合がやってきた。

相手は、監督同士の仲がよく、何度も練習試合をしてきたチームだ。

記述していないが、僕がベスメンとして出れるようになったのも、このチームとの練習試合のおかげであった。(練習試合では勝ったり、負けたりしていた。)

 

試合が始まった。1Qは耐える時間帯で2,3,4Qで逆転する僕たちのチームの作戦は1Qで良い出だしを切った。

2Qは僕の番だった。試合にもなれてきた、これで最後になるかもしれない。

僕を拾ってくれた、監督に恩返しをするという気持ちで望んでいた。

しかし、試合内容は、そんな強気な思いも裏腹に慎重な試合内容だった。

監督が「中開いてるぞ!!理樹切り込め!!」

その言葉ははっきりと聞こえていた。けれど僕の選択肢はパスだった。

最後の試合、負けたら引退。そんな思考回路の中失敗を恐れたのだ。責任逃れをした。

中に切り込めば結果が変わったかもしれない。

そのまま、中に切り込むことも、無茶をすることもなく、試合内容で言えば、

影のような結果で試合が終わった。

チームメイトは悲しんで、泣いていた。僕は涙も出なかった。試合後に溢れてきたのは後悔の念だった。なぜあの時に切り込まなかったのか。なぜシュート打たなかったのか。

その後悔は22歳の今も消えることはない。たまに思い出して、後悔をする。

 

結果が変わらなくても、後悔はなかったのか。けれどシュートを打っても、後悔をしていたかもしれない。それでも、やらない後悔より、やる後悔の言葉通りだ。

 

僕はあれ以来、やらない後悔をしないようにしてきた。

どうせタラレバで苦しむのなら、やってしまえばいい。その方が楽なのだ。

やった後悔は、今思いだそうとしても、そんなに思い出せない。

やらない後悔は、思い出そうとしなくても、僕の心を苦しめる。

 

そんな僕は明日、初対面の人達と2年ぶりにバスケをする。

やらない後悔よりやる後悔だ。