運の総量

 

この世界には"運のいい人"と"運の悪い人"が存在する。

けれど、インスタグラムの投稿や友達はポエムのようなことを口にする。

「運の総量は平等なんだよハハとわらうから8×8=64この幸せが

シクシクと泣くから4×9=36この悲しみが合わせて100なんだよ」

 

この話を聞いた時、バカみたいに笑ってしまった。

僕は斜に構えてしまう性格で、悪態をついてしまうクソみたいな人間だ。

 

そもそもなぜ人生の運の総量が100と決まっているのか。

例えば幸せが6.4割 悲しみが3.6割とするならば

80年生きるとして

80×364=29120日を生きることになる。

そのうちの6.4割が幸せならば18637日が幸せな日々となる。

残りの10483日が悲しい日になるのだ。

 

まず、幸せや悲しいことなんか人によって違うのだ。

何でも幸せを感じれる人もいれば、何度も悲観的に捉えてしまう人もいる

それなのに運の総量は一緒と言われても困る。

 

僕は運の総量は人によって違うと思っている。

総量も違えば、良いことが起きるタイミングだって異なる。

 

運がいい人はずっと運がいいし、悪い人はずっと悪い。

結局の所それでも生きていかないと行けないのだ。

そもそもなんで運というものがあるのだろうか。

 

僕たちは運や神様といった、見えないものにすがりたがる。

運が悪かった。その一言で物事を片付けようともする。

見えないもののせいにして逃げるのだ。

 

自分の持っている手札の中から最高の戦い方を探っていくしかないのだ

ないものねだりをしている暇はないのだ。

 

けれどないものねだりができるのならば、

僕は何事にも楽しめる人でありたい。

 

斜に構えて、悪態をつく人生ではなく。

運が悪くてもその道中を楽しめて、いつも笑っている人になりたい。

 

運や神様なんかじゃ決して覆せないものは

楽しむという、かんたんなことなのかも知れない。

 

子供の頃は何でも楽しかったのに、歳を重ねるほどに、時間がすぎるほどに

物事が楽しめなくなってくる。

 

最近"よつばと"という漫画を読んで出てくる言葉があった。

"何でも楽しめるから、無敵なんだ。"

どれほどまでに心に響いたことか。

趣味は人脈を広げる

 

自分の正直な気持ちを吐いても理解してもらえない事が多かった。

そんな理解してもらえない気持ちをどうしようかと思っていた。

友達に何度も相談したが、理解していないようだった。

 

そんなことを考えなくてすむように、なにか趣味を持ちなよ。

趣味を持てば、趣味を通して友だちができる。

友だちにそう言われた時に、「わかってるんだよな」と邪険に思っていた。

けれど、”共通の趣味"というのは、異性とうまくコミュニケーションの取れない僕からすれば、

点から垂れる、蜘蛛の糸のようなものだよな。とも思っていた。

 

実際に趣味がないことはないし、けどその趣味は自己完結してしまう。

そこから繋がりが見いだせない。

 

とりあえず趣味の合う人を見つけようと、誘われた飲み会やご飯会に顔を出した。

その結果、Amwayに誘われたり、宗教勧誘や、詐欺グループに潜入したりもした。

危ない橋を渡る事になってしまった。

 

そこから、趣味の友達を探すことを諦めていた。

気の合う昔からの友人とご飯を食べ、お酒を飲めればいいと思っていた。

その時から、本当に行きたいと思う、ご飯や遊びにだけ行ってた。

 

そんな矢先、同期の子から、「今、女の子と飲んでてて、年下の子が良いって言う子がいるからこない?」と連絡があった。

 

僕は、23時だぞ?と思いながら、いつもなら断っているはずの飲み会に終電に乗って向かった。

僕がついた頃には、3人は出来上がっていた。(同期の男1人、女の子2人)

 

年下が好きな女性の横が空いていたので、靴を脱ぎ、そこに座り。レモンチューハイを頼んだ。

 

どうやら、その女性は”年上の男性”と同棲をしていたが、

家電を全て持ち去られて蒸発してしまったらしい。残ったのは、彼女の私物と、合鍵だけ。

 

“年上に騙された悲劇のヒロイン”を演じている自分に酔っているな。と心のなかで思っていた。

それが昨日の出来事にも関わらず、あっけらかんとしていたからだ。

僕は作り話ですよね?と失礼なことを聞いてしまった。

彼女は作り話なら楽なんだけどね、と目を伏せてしまった。

 

やってしまった。和気藹々としていた空気を一瞬で破壊してしまった。

その瞬間、脳をフル回転させ、どうこの状況を打開しようか考えたが、

どの発言、どの行動をとってもうまく行かなかった。

すると彼女が突然笑い出した。

僕があっけにとられていると、「靴下穴あいてんじゃん。」と言われた。

僕は急いで準備をしたから、靴下に穴が空いていることに気がついていなかった。

(しかも左右で違う靴下を履いていた。)

その瞬間にピリついた空気が僕が来る前の空気に戻った。

 

心の底から靴下に感謝した。(かえってすぐに捨てたけど)

 

彼女がお酒を次々に注文し、とりつかれたようにこの世界に悪態をつき始めた。

「ご飯なんて、どうでもいい。」「イルミネーションなんてクソだ。」

「梅田駅前、吐き気がする。」

そのどれもに僕は共感し、自分もそう思っていることを話した。

 

自分の正直な気持ちを白い目で見られないことに腰を抜かすほど驚いた。

僕の正直な気持ちを理解できる人などいないと思っていたからだ。

 

しかもそれが異性となれば、10万人に1人だと本気で思った。

 

“共通の悪口"を持つ人は"共通の趣味"を持つ人並みのコミュニケーションツールになった。

 

“この世界に共通の悪口を持つ人"が存在しないと思っていた僕は、精神的童貞だったのだ。

そして「存在しない」というものから、「いるにはいる」というものになった。

表面上は楽観的な性格

楽観的だね。とよく言われることが多い。

多分それは、八方美人で波風を立てたくない

僕が22年間を通じて学んできたことだと思う。

先輩が話すことに”ヘラヘラ”しながら相槌を打つ。

そうすることで、うまいこと世渡りをしてきた。

 

けれど飲み会の席の場で上司に対して媚を売っている先輩を見ると。

「ヘラヘラ媚び売ってんじゃねぇよ。」と思ってしまう。

蓋を開ければ僕がその先輩だと言うのに。

 

実際のところ僕は楽観的ではない。ただ何も考えていないだけなのだ。

先輩の話は右から左へ聞き流し、"ヘラヘラ"しながら別のことを考えている。

たまに意識を先輩の方に戻し、タイミングよく相槌やリアクションを取れば

先輩たちは満足する。僕は世渡りとはリズムゲームのようにこなしていた。

 

どうでもいいことについては、聞き流しているが。

自分に興味のあることについては、他人の話は聞こえないくらい集中してしまう。

 

そして、俗に言う楽観的なのは、”失敗しても反省して次に切り替えられたり”

"他人の批判を物ともせずに自分の道を進む"という人だろう。

 

僕は真逆の人間だ。失敗すれば、この世の終わりのように落ち込んでしまうし、

他人にどう思われるかを気にして行動が起こせなかったりする。悲観的な人間なのだ。

けれど表面上ではそうは思わせない。顔には出さず、心にしまっておくのだ。

表面上では"ヘラヘラ"した作り笑いを浮かべている。

だから周囲の人は僕のことを"楽観的"というのだろう。

 

小学生4年生の山の学校でグループの班長になった時、グループ内の意見をまとめようとすると、

班長ぶってんじゃねぇよ。」と言われた。実際班長なのにだ。

 

その言葉が今の僕の行動を制限する。人目につくことの恐怖を知った。

それから、僕は人の目を気にして行動することが多くなった。

そして、人前に立たずに、”ヘラヘラ"するという技を学んだ。

その技は、入社してからや接客のバイトのときにはすごい役に立つことになった。

 

接客の呼吸 一の型 「愛想笑い」

 

そんな影に潜んでいたかった、”僕に変革の時がやってきた。"

 

いじられキャラという立ち位置を得てしまったのだ。

いじられキャラは、クラスでも目立つ部類に入る。

1軍のいじりに対して、的確にかつスピーディに返答しなければならない。

少しでもズレが有ると、"つまらないやつ"になってしまう。諸刃の剣のような立ち位置だ。

 

入社してから、1ヶ月半本社で研修があった。僕は50人の同期の中で、

「あぁー、いたなそんな奴」という立場にいたかったのに、

気がつけば、いじられキャラという立場を確立していた。

人事の人の「デモンストレーション誰かやってくれない?」の一言の後、

誰も手が当たらなければ「えっ?理樹やりたいん?」という声と笑い声が上がるほどだった。

目立ちたくない僕は、いじめだな。この会社に居場所はないと思った。

(実際にいじめではなく、昼休みもみんなでご飯に行っていたし、GWにはディズニーにも行った。)

そしてデモンストレーションを行う際は、大喜利のようにどこかでボケを挟まないといけなかった。それがトップバッターでいじられキャラの僕の役目だったからだ。

支店配属されてからもその立場は変わらなかった。

本社研修で一番いじってきていた人が、同じ支店だったからだ。

 

僕は野球でいうと7番セカンドくらいの立場で引退をしたかったのに、

気がつけば1番ショートくらい目立つところに立っていた。

 

僕は会社で必要な知識なんかより、幹部の世代にウケる例えを学ぶことに精を出している。

「媚び売ってんじゃねぇよ。」過去の自分からの激が聞こえてくる。

影響を受けたNBA選手

 

何気なくTVを見ていた。面白い番組がないかと、チャネリングをしていた。

すると何気なく選んだBSの番組で黄色ユニフォームを着た選手がボールを高らかに上げる瞬間だった。何気なくつけたテレビに心が動かされるとは思っていなかった。

そのテレビの瞬間はレイカーズvsセルティックス2010年のNBAファイナル第7戦だった。

今でもその瞬間を覚えている。

高らかに上がったボールを走って追いかける選手。

そのボールを掴み、喜びを噛み締めていた。

優勝の瞬間だけしか見てないと言うのに、テレビの前で立ち尽くしていた。

それほどまでに黄色いユニフォームを着てボールを抱えて涙する選手は輝いて見えた。

 

その時からバスケを初めてはいたが、NBAに興味はなかった。

しかし、ちょうど優勝の瞬間見たというところに僕は運命を感じた。

 

後に、その選手が"コービーブライアント"というNBAのレジェンドだったと知る。

そのまま僕はコービーに憧れた。

 

彼のバスケに対する熱量や、"レイカーズ"一筋という思いは、

熱しやすく冷めやすいタイプの僕の心に凄まじい衝撃が走ったのを覚えている。

彼のハイライトプレーや試合動画を何度も見直し、彼のプレーを真似していた。

彼は僕にとって、先生だった。

彼は引退をしても偉大なプレイヤーだった。

何度も試合に足を運び、現役選手にアドバイスをする。

 

そんな中、バスケ界、いや世界中に衝撃と悲しみが走った。

コービーのヘリコプターでの死亡事故だった。

彼のニュースはまたたく間に世界を駆け巡り、

遠い島国日本にいる、僕の耳にまで入った、

自分に関係する人(身内や親戚)以外の人の死ではどこか他人顔だった僕が

実際に会ったこともない人の死でこんなにも心が凹むとは思わなかった。

彼のニュースを見てから、何をしていても彼のことを考えていた。

これほどまでに、僕の人生に彼が大きな影響を及ぼしていたとは

自分でも気づかなかった。

彼は今でも僕のヒーロであり、先生であり、影響を受けた選手の一人である。

 

R.I.P Kobe Bryant

 

 

やらない後悔より、やる後悔

試合終了を告げるブザーが鳴った。2分割される世界。

勝者は喜び、敗者は悲しむ。

僕たちは後者だった。

チームの中でも涙を流す人もいる。当然だ。負けたのだから、悔しいのだから。

けれどそれだけではない。僕たちの小学校のバスケが終わりを告げた。

 

小学4年時に4年間続けてきたサッカーを辞めた。小学校5年時は朝から夜まで、友だちと遊び続けた。

木曜日の夜は、幼稚園の頃からの友達が家に来て、一緒にアニメを見たりゲームをした。

その友達と僕の姉は、近くのバスケクラブに所属しており、友達のお母さんはコーチをしていた。

だから、友達は僕の家でその時間を過ごし、一緒に姉を迎えに行き、解散するのだ。

けれど、ある日を境に友達が来なくなった。毎週の楽しみであった、木曜日の夜は何食わぬ日へと変わり果てた。一方でその友達は木曜日がより輝かしいものになっていた。

彼は姉たちと同じバスケクラブに入部した。

僕は毎週姉の迎えついでに、バスケの見学をしていた。見学というより、練習が終わった後に、バスケットボールでサッカーを始めた。そのバスケクラブは男女で監督が違う。

ある日、いつものようにサッカーをしていると、男子の監督が1VS1を申し込んできた。

男子の監督だが、女性だった。けれどその監督はめちゃくちゃに熱血だった。

僕は、1VS1を受けた。密かに姉についてバスケの練習をしていたので、正直勝てると思っていた。(これは甘い見積もりだったと今でも思う。)

 

僕はぎこちない感じで右手でドリブルを始めた。そして少しずつ進んでいき、タイミングをみて右手でバスケットボールを囲いながらのロールで抜き去ろうとした。

目の前にはリングしか見えなかった。

勝ったなと思ったのもつかの間、正面を向いた僕の体から、ボールは離れていた。

気がつくと監督がボールを奪い、きれいなレイアップシュートを決めていた。

「全然だめじゃな。」そう言われ、監督は立ち去った。

僕は愕然とした。勝てると思っていた、相手にこんなにも屈辱を味わわされるなんて。

僕はバスケなんてやらないと決めた。才能がないと思ったからだ。

けれどもどこか、心でふつふつと湧き上がるものを感じた。監督を倒したい。その思いだったと思う。

そして僕は、友達の誘いや、親の助言もあり、僕はバスケを始めた。

その頃には監督を倒したいと思いはなく。素直に尊敬していた。

僕は小学5年時の終わりにバスケを始めた。その年に1個上の世代が全国大会に出場した。

初めての偉業だった。僕の友達は背が高く、努力をして試合に出れるようになっていた。

その時に僕はスタートダッシュが遅れたことに後悔もした。

全国大会に出場するということは、引退が伸びる。つまり新チームのスタートが遅れるということだった。もちろん僕たちの代の人とたちも試合に出ていたので、いい経験になったと思う。

僕はそのときには初心者ということもあり、低学年の子たちと基礎練習をしていた。

全国大会が終わり。ようやく僕たちにスポットライトがあたった。僕の友達はキャプテンになった。(これが後にさまざまなことを巻き散らかす。今回は記述しない。)

僕も2Qだけ試合に出れるようになった。ミニバスは中学高校と違い、1人最大3Qまでしか出れない。

つまり1Qに出る人。2Qに出る人。3Q、4Qに出る人がいる。(基本3Q,4Qはそのチームのベストメンバーが出る。)

僕は2Qしか出れなかった。2Qでは友達も一緒だった。

けれど基礎もない僕はミスも多く。うまく行かなった。呆れた監督は5人ででていたが、

友達と僕の代のもうひとりの友達2人で試合をするように指示をした。

僕たちにボールを触らせず、二人でパス交換をして試合を進めた。

屈辱だった。いやそれ以上だった。もうやめようとまで思った。

試合に出るのは人数合わせのためだった。そう思えるほどの試合だった。終わった後も、保護者に怒られる。「あんたがだめだから、あんな感じになったんよ。あんたのせいよ。」

大げさかもしれないが、死にたかった。誰も励ましてはくれないし、慰めもなかった。

僕たちは小学校の昼休みや放課後に、みんなでバスケをしていた。

その試合以降、僕はそこに顔を出せなかった。

 

昼休みも教室にこもり、放課後も家にこもった。

友達は心配して家に来てくれた。みんなで話して。努力をすることにした。

たくさん練習に付き合ってくれた。

(今でもみんなのことが大好きだが、それはこの日からだったと思う。)

僕は、基礎がなっていないので、ドリブルとかではなく、

誰よりも走り、DFで貢献することを心に決めた。

 

そのかいがあってか、どれだけ暑い夏の日でも、

監督やコーチから「理樹が一番走っている。」や「理樹が一番DFうまい。」とまで言われるようになった。そして3Q,4Qも試合に出れるようになっていた。

僕は友達を信用して、リバウンドを取る前から、相手ゴールに走り、友達に投げてもらい、

速攻でレイアップを沈め、幼稚園からのホットラインが完成した。

DFでは相手のエースをマークし、相手チームがリズムに乗れないようにした。

 

そして、ある程度なれてきた頃にドリブルが少しでき、相手を抜けるようにもなった。

僕たちは県大会や他の県の大会でも良い結果を残せるようになった。

(優勝こそなかったが、2位にはなったことがあるくらい)

 

そして最後の試合がやってきた。

相手は、監督同士の仲がよく、何度も練習試合をしてきたチームだ。

記述していないが、僕がベスメンとして出れるようになったのも、このチームとの練習試合のおかげであった。(練習試合では勝ったり、負けたりしていた。)

 

試合が始まった。1Qは耐える時間帯で2,3,4Qで逆転する僕たちのチームの作戦は1Qで良い出だしを切った。

2Qは僕の番だった。試合にもなれてきた、これで最後になるかもしれない。

僕を拾ってくれた、監督に恩返しをするという気持ちで望んでいた。

しかし、試合内容は、そんな強気な思いも裏腹に慎重な試合内容だった。

監督が「中開いてるぞ!!理樹切り込め!!」

その言葉ははっきりと聞こえていた。けれど僕の選択肢はパスだった。

最後の試合、負けたら引退。そんな思考回路の中失敗を恐れたのだ。責任逃れをした。

中に切り込めば結果が変わったかもしれない。

そのまま、中に切り込むことも、無茶をすることもなく、試合内容で言えば、

影のような結果で試合が終わった。

チームメイトは悲しんで、泣いていた。僕は涙も出なかった。試合後に溢れてきたのは後悔の念だった。なぜあの時に切り込まなかったのか。なぜシュート打たなかったのか。

その後悔は22歳の今も消えることはない。たまに思い出して、後悔をする。

 

結果が変わらなくても、後悔はなかったのか。けれどシュートを打っても、後悔をしていたかもしれない。それでも、やらない後悔より、やる後悔の言葉通りだ。

 

僕はあれ以来、やらない後悔をしないようにしてきた。

どうせタラレバで苦しむのなら、やってしまえばいい。その方が楽なのだ。

やった後悔は、今思いだそうとしても、そんなに思い出せない。

やらない後悔は、思い出そうとしなくても、僕の心を苦しめる。

 

そんな僕は明日、初対面の人達と2年ぶりにバスケをする。

やらない後悔よりやる後悔だ。

最近の趣味

プロレスにハマった。ハマったきっかけは中のいい後輩が、

「お願いだから、この選手の入場シーンだけ見てください」と言われ、興味もなく見た

登場シーンがかっこよすぎて、家に帰り、プロレス動画をあさりまくった。

猪木の時代から、闘魂3銃士から暗黒時代のプロレス。

男の戦いだし、何よりも熱い。

 

そしてプロレスには物語がある。

 

プロレスを見るまでの僕は「勝つ」「負ける」の二元論だった。

勝つ人は、努力をし、才能があり、運がある人

負ける人は、祖力を怠り、才能はなく、運もない人。と思っていた。

けれど、自分の中で、負けを物語として消化するということ。

負けにもこんな負け方があるんだと。衝撃を受けた。

 

更に中村選手のインタビューにも同様な衝撃を受けた。

同期であった”棚橋選手""柴田選手"に負けた後のインタビューで

「棚橋に負け、柴田にくらい、くるね。」

失敗や負けたことに対して、「くるね」の一言で終わらせるんだ。もちろんインタビュー向けの言葉かもしれないが。

なんか救われた気がした。

僕は、学校や会社でミスや失敗をしても、「くるね。」で終わらせるようになった。

 

プロレスを見ることで、あったく新しい価値観が追加されたり、価値観がアップデートされた気がした。

 

それに今活躍している選手や、昔活躍していた選手でも、自分たちのファイトスタイルや、コスチュームを固めるのに何度も挑戦をしていた。

最初は白パンで戦っていた人が、途中から黒パンになったり、

ヒールに転向したりと皆模索していた。

 

大体20題の後半には各々の形が定まっていた。(もちろん。早い人は20再前半で定まっている人もいる。)

僕はそれを見て、焦らなくても良いんだと思った。

第一線で活躍する人たちも、自分の形、ホントの自分も見つけるまで、時間を催すし、

模索もする、失敗もする。

だから今は様々な事に挑戦しようとも思えた。

 

そして最近眠る前に、よく妄想をする。

自分がプロレスラーになるなら、どんなファイトスタイルだろうか。

僕は多分、白パンで黒いブーツで戦う。熱いプロレスではなく、サイコなプロレス。

表情を一切変えずに、パイプ椅子で相手を殴る。

けれどG1や1.4の決勝に上がった際には、感情を爆発させ、熱いプロレスを相手と取る。

実況で「あの、安田が感情を出した!!!。ごんなぁやすだみたごとない~」と言われたい。

そして、優勝後のマイクパフォーマンスでは、サイコな感じで帰っていく。

 

大丈夫。もし負けたとしても、物語として消化できるはずだし。

僕には魔法の言葉「くるね」があるのだから。

作家の心 童貞の心

作家志望

 

僕の友人に作家の卵の人がいる。その子は元々友達の友達で一緒に御飯に言って息があった。

初対面にもかかわらず、僕の心は開きまくっていた。

「制服が嫌い。」「手酌する意味がわからない。」「お土産に対するつまらないものですが、っている?」

とか隠してきた、本音がバラバラと出てきた。

そうすると「りき君は童貞やんなl!」と言われた。

「いや、童貞じゃないですよ」と言い、話は流れた。

僕たちは連絡先を交換し、後日2人で飲みに行った。

僕が店に入ると、その子は一人で飲んでいて、出来上がっていた。

その子は「あっ、童貞だ!!」と叫んでいた、酒臭かった。

二人で合うときはいろいろな議論を交わした。

そして僕は、またまた「童貞やなぁ。」と言われた。

僕は「何度も言うが童貞ではないですよ」と反論した。

「ちゃうねん、字義どおりの童貞じゃないんだよ」

その子は続けて「りき君は、色々なことを経験してきて。それってつまり、いろんな女の人を抱き続けているはずなのに、毎回毎回、これで良いのかな?とまるでファーストタッチのように話すから童貞ぽいんだよ。」と言われた。

僕は、手酌をするのが苦手だった。同期の人はすすんでやっていたが、何故か媚びている気がして嫌だった。手酌している同期にも媚びているなぁと思っていた。多分自分で思うことが、自分の行動を狭めているのだと気づくのは、もう少し後だった。

 

「りきくんは、私達からすれば、そんなの常識じゃん?と思うようなことにも平気で驚いている。

それって普通の人たちが一番最初に忘れてしまうようなことだから、」と説明してくれた。

なるほど、童貞とはそういう意味だったのか。と驚愕した。字義どおりに捉えていた自分を少し恥じた。そして全てにおいて敗北を感じた。勝ち負けなどないとは思うが。

 

そして初めて僕はこんな人になりたいと思ってしまった。

 

そして僕は「言葉をうまく扱えるようになりたい」とその作家に言いながら手酌をした。

「私なんかまだまだだよ。でもね、私も君の発言の言葉一つ一つに教養の高さに驚くこともあるよ?りきくんの話はいろんな映画や歌詞・本の一文を引用して人に伝えているよね。それってすごいことなんだよ」

 

嬉しかった。僕は恥ずかしいので誰にも言えずにいたが秘密を二度目ましての人に見破られてた。

それを人に気づかれたのは、初めてだった。

 

そしてまた僕は、敗北を喫した。それにきづけるということは、その作家も僕と同等、いやそれ以上に教養があるということだから。

みぞおちにストレートをくらい、立て続けにアッパーを食らわされた感じだ。

 

そして小説の書き方やいろんな話を聞いた。

 

僕は、捕食動画を見るのが好きだった。

ライオンがガゼルを捕食する映像を見た。ガゼルが可愛そう、ライオンは悪いやつと安直な考えを持っていた。

しかしある日、ライオンのドキュメンタリーがテレビでやっていた。小ライオンが飢えている、

そこにたまたまガゼルがやってきて、小ライオンたちにとっては、命が救われた瞬間だった。

それを見て衝撃を覚えた。「うわぁ、嫌なものを見た。ライオンが悪者ではないじゃない。」

と思ったのだ。ガゼルを主役に小説を書くのであれば、ライオンがなぜ、ガゼルを狙うのかにもフォーカスを当てて書くのが、小説だ。

 

これを考えてから、世の中の犯罪の見方が全て変わった。加害者が悪いのはもちろん、なのだが。

なぜ加害者がそのような行動を起こしたかも想像するようになってしまった。

作家への第一歩だ。とその子は言っていた。

 

話は恋愛の話に移り変わっていた。

その子は「私は自分の誕生日に牛丼屋でも許せるタイプだ。」と豪語し始めた。

その意見に対し、僕は「そんな人はいない。いたとしても、1万人に1人の割合」といった。

「視野が狭い!私の周りにはそんな人ばかりだ!譲っても10人に1人の割合だ!」

「それはない、断じてない!!」と水掛け論になっていた。

そして最後に「まぁ、童貞の意見だもんな」

その発言にはメタファーなんて一切なかった。