文章の才能

 

 

卒業アルバム用の写真は笑顔が決まりだ。

僕の学校には専門のカメラマンが来て、一人ずつ撮っていく。

「笑顔硬いよ~もっと笑って~」とカメラマンの声を何度も聞いた。

僕らのクラスはお笑い担当みたいなやつがいたので、そいつが孤軍奮闘しながら、

カメラマンの後ろで笑わせていた。

僕もおちゃらけて笑かそうと思ったが、全く笑いが起きなかった。

これがすべるということか。

もうむちゃするのやめよう、身が持たない。(それからはツッコミをメインとした。)

ようやく、僕の出番が来た、満面の作り笑いをカメラに向けた。

「おぉ!いい笑顔だね!」と褒められた。

他の人は2,3分かかっていたのを、僕は1分もかからず終わった。

僕は作り笑いがうまいのかもしれない。そう思いながらクラスに戻った。

クラスに戻るやすぐに、卒業文集の作成だ。

僕の名字はや行なので、最後の方に教室に戻る。クラスの扉を開けると"カリカリ"と鉛筆を描きすすめる音しか聞こえなかった。

卒業文集か、何を書こう。楽しかった修学旅行?運動会?将来の夢?

いやいや今もだがその時から夢はなかっただろう?

思い出せ、幼稚園年少の誕生日の時に、保護者たちに囲まれ、何になりたいかを聞かれた時に

トイザらスの店員」と発表し笑われたことを。

なぜ笑われたんだろう、今となってわかる。夢はキラキラしていないと、手が届かない夢でないと夢と言ってはいけないのだ。

僕の言った「トイザらスの店員」は夢にするには、あまりにも手が届く内容だった。

だから大人は笑ったのだ。それから僕の夢はプロサッカー選手。バスケの監督。料理人。

簡単に手が届く内容のものではない夢を語った。理由は大人が喜ぶからだ。

けれど実際、表面上の夢を語らえば語らうほど、自分の夢が自分自身がわからなくなった。

卒業アルバムに映る自分の笑顔は本物なのか。早く終わらせたくての作り笑いなのか。

それすらもわからなくなった。

結局、作文には将来の夢と題し「バスケの監督」と書いた。

なんとか書き上げて、先生に提出をした。後日、先生から添削があり全員に返却される。

そして、書き上げた文集が返却される。返却される日に僕は風邪で学校を休んでいた。

次の日、風邪が治り、学校に行くと「お前だけらしいぜ、すごいな。」と友達に言われた。

休んでいたから何の話か分からなかった。

聞くところによれば、僕が休んだ日に、先生が添削した文集を返却した際に「安田くん以外は、やり直し」と言っていたそうなのだ。

ぼくの文集が先生からの添削がなく返却された。「やっぱり安田くんの作文はいいね。」

なんとも複雑な気持ちだ。嘘で固めた卒業文集が評価されたのだから。

確かに、何度か担任の先生に、文章力がいいと褒められたことがあった。

評価されたのは、内容なのか、文章力なのか、わからない。

結局自分の力を自分のことを一番理解できなければならいのは自分なのに

僕は自分がよくわかっていない。僕に文章の才能があるのかもしれない。けれど自分ではわからない。そう思いながらこの文章を書いている。僕は自分自身の可能性や才能ではなく。先生の言葉を信じて見ることにした。

他の生徒は僕が休んでいる間に、修正を終え、清書まで終わらせた人も何人かいたが、

大半はこれから清書にはいるという段階だった。ごく僅かだが、下書きを修正している人もいた。

早く清書を終わらせて、自由時間にしよう、と思い。筆ペンを走らせる。

ようやく、清書を終え、担任の先生に提出をし、Okサインが出た。

僕は席に着き、一息ついた。

そしてすぐさま、先生が登壇し一言

「ようやく全員揃いましたので、授業を終わります。」

たとえ僕に少しでも文章の才能があるにしても。清書の才能は1mmもないようだ。