目標は標識
目に見えるもの全て、自分が見たいものだ。
それは意識しているものが、見えているのだ。
例えば自分が自動車が好きならば、道を歩いている時に、自然と道行く、車に目が行くだろう。
他にも、ご飯が好きならば、道にあるごはん屋さんが目につくようになるだろう。
自分が必要な情報だけを、意識することで、その情報が入ってきやすくなるのだ。
この法則を利用することで、僕らは何にでもなれるだろう。
つまり、夢を持つことで、その夢について意識を向けると必然的に
自分の夢に関する事が目に飛び込んでくるようになるだろう。
他にも、場所は忘れてしまったが、海外の果てしない真っ直ぐの道。
その道で一番多い事故は衝突時だという話を聞いた。
衝突事故と言っても、車同士ではなく、標識と車だ。
理由としては、なにもない道。だから途中の道に現れる、標識の方に目が奪われ、
気がつけば意識だけでなく、車も標識の方に向かっていき、結果事故が起こるのだ。
上記の話を人生に当てはめれば、
人生という長い長い道のり、その中に目標という標識を建てる。
そうすることで、その目標に意識を向けることにより、自然とその情報が集まってくる。
そして意識を向けることで、体がそっちに向かっていく。
だからこそ、趣味や夢が大切なのだ。
“小市民はいつも挑戦者たちを笑う。"という僕の好きな名言がある。
この国では夢を持てば、夢を語れば笑われる。笑う人たちは、自分の夢が叶わなかったから、
自分が諦めた夢を他人に叶えられたら、つまらないから。夢を追う人の邪魔をする。
だから僕たちは、笑われたら、今ボクは努力をできているんだと。思ったほうが良い。
その方が楽しいし、人に左右されずに生きていける。
それに夢を叶えられずに諦めた人の意見に耳を貸すことはない。
そんな人の話を聞く時間があるならば、同じように夢に向かっている人の話を聞いたほうが良いのだ。
僕たちは今日が残りの人生で一番若い日なのだから、今なら何でもできるだろう