"太陽の塔"と"目"
"太陽の塔"が見たくなった。何回か見たことはあったが、対して興味もなく
横目に流す程度に見ていた、理由はわからないが無性に見たくなった。
こうなったら、話は早い。僕は早速車を出し、洋楽を流し万博記念公園に向かった。
車をしばらく走らせ、万博記念公園の近くまでは来た。しかし、夜の公園は門が閉鎖されていて中には入れず、走る車内からは、金色の顔が公園に生い茂る木々の上からひょっこり顔を出しているだけだった。
今思えば、モノレールの駅からなら見えたのだろうな。
"太陽の塔"は1970年に開催された日本万国博覧会のシンボルとして芸術家の岡本太郎さんによって作られた。
万博のテーマであった「人類の進歩と調和」に異を唱えた太郎さんが
万博全体に睨みを利かせるように作ったとされている。この逸話が僕は大好きだ。
走る車内からは依然として、金色の顔しか見えない。
諦めて家に帰ろうと、バイパスを走っていた。
すると僕の横目に、ほぼ全身の太陽の塔が視界に飛び込んできた。
突然の事で少し驚いたのと同時に、少し怖かった。けれどもどこか興奮をしていた。
車を止めてじっくり見たいと思ったが、車を停める場所もなく、またもや横目に見るだけだった。
けれど、今回の太陽の塔は今までと感じるものが違った。
"太陽の塔"には余白がないと言われている。あれだけ大きな作品を作る際には間延びする部分が多少でてしまうものらしいが、太陽の塔にはそれが一切ないと言われている。つまり太郎さんの100%の情熱や思いがあの70メートルに作品にぶつけられているのだ。そしてそれが50年以上立ち続けているという魅力がある。
胸中からあからさまな勇気と情熱が突如として湧いてきた。
この感情は以前も感じたことがあった。
そうだ!!ベトナム戦争博物館に行ったときと同じ感情だ。
ベトナムでインターンシップをした時、休日に一緒に参加した友人とベトナム戦争博物館に行った。、博物館内で壁にかけられている戦時中の写真。そこに写っていた人に"太陽の塔"を見たときと同じ感情を抱いたのだ。
詳しい話はいつか書こうと思うが、結論から言うと”目"が違った。
現代の人は良くも悪くも”平均寿命まで平均的に生きる"ような目をしている。
つまり明日が高確率でやってくる生き方をしている。
しかし、戦争博物館でみた写真に写る人たちは"自分の命をギリギリまで使って生きる"
ような目をしていた。
つまり明日死ぬかもしれないという覚悟を持った生き方だ。
それを見た時に、言葉が出ずに、湯水の如く溢れ出る、感情や思考がまとまらなく、呆然としていた。
その感情が太陽の塔で、岡本太郎さんの情熱で思い出され、僕はまた呆然としていた。
しかし、 帰りの車内で流れる洋楽の音量だけが大きくなっていた。