人生の指針

頭を整理するために思ったことを書いてます

牡蠣になりたい

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仕事で過労死。など最近になってよく耳にするようになった。

最初は、暴力など当たり前で育った、役員。ゆとり教育で生きてきた、平社員。

時代の温度差で問題になっているのだな。と思っていた。

そして失礼なことに、どうして逃げなかったのかなとも思っていた。

逃げることにも勇気がいるし、周囲からのプレッシャーなどが重なり、

逃げたところで同じかもしれない。とも思えるし、

その決断ができないほど追い込まれていたのかもしれない。

会社からリストラされて、自殺する人もいるようだ。

 

まるで社会が全てのような感じだ。

人間には生きる理由が2つあると思う。

1つ目は、何かをしているから存在しても良い。

仕事をしているからその会社にいてもいいって思えることだ。

 

2つ目は生まれてきたから。何もしていなくても存在していいということ。

上記に上げた人たちは1つ目の理由が全てだと思っていたのでは、と思った。

リストラされたから、家族にから社会から存在する理由を与えられなかったから、

自分の命を終わらせる。何もしなくても存在していいのにも関わらず。

だから人を襲うと警察に捕まる。それは2つ目の生きる理由を侵す行為であるから。

僕たちは1つ目の理由の大切さばかりを教わってきた。本当に大切なのは2つ目の理由であるというのに。

 

僕は日生に牡蠣を食べに行った。

牡蠣がザルにいっぱい入り売られていた、それをBBQスペースで焼いて食べられるのだ。

そこで牡蠣を売っている人に牡蠣ってどうしてこんなに多いの?捕まえるの簡単なの?と訪ねた。

「牡蠣はね岩肌にくっついて、一生を終えるんだよ。人が来ても、剥がされるのを待っているんだ。」

と教えてくれた。「まじかよ、牡蠣、逃げろよ。」と思いながら、牡蠣を焼いて食べた。

 

 

僕は、1つ目の理由を増強して生きようとしていた。そのため様々なことに挑戦する。

楽しもうとする、なにかに認められるために、自分の存在価値を探すために。

けれどそうじゃなかった。

何かをしていることに意味はないのだ。意味がないからこそ、”せっかく”なので楽しむのだ。

楽しいことをするのだ。

僕に、僕たちに必要なのは2つ目の生きる理由をもっと感じることだ。

 

もし僕が明日、全財産を失おうとも、会社をクビになろうとも、

存在して良いのだ。

 

カフェへ向かう足並みが軽かった。

すれ違う人全員、あの人も、あの人もみんな存在していい人たちなのだ。

もちろん僕も。

こうなれば目指すものは、何気ない日常を楽しめる人。

僕は牡蠣になりたい。