
仕事での過労死──最近、よく耳にするようになった。
最初は、暴力が当たり前で育った役員と、ゆとり教育で生きてきた平社員の、時代の温度差の問題だと思っていた。
そして、失礼ながら「どうして逃げなかったのかな」とも思った。
でも、逃げることにも勇気がいる。周囲のプレッシャーや責任感が重なれば、逃げたとしても同じかもしれない。
その決断ができないほど追い込まれていたのかもしれない。
会社からリストラされ、自殺する人もいる。
まるで社会が全てのように感じる。
人間には生きる理由が二つあると思う。
1つ目は、何かをしているから存在してもいいという理由。
仕事をしているから、会社にいてもいいと思えることだ。
2つ目は、生まれてきたから存在していいという理由。
何もしなくても、存在していいということ。
多くの人は1つ目の理由に重きを置きすぎている。
リストラされたり、周囲から存在価値を与えられなかったりすると、自分の命を終わらせてしまう。
でも、本来は2つ目の理由だけで存在していいのだ。
先日、岡山県の日生に牡蠣を食べに行った。
牡蠣がザルいっぱいに並べられていて、BBQスペースで焼いて食べられる場所だ。
僕は売っている人に聞いた。
「牡蠣って、どうしてこんなに多いの? 捕まえるの簡単なの?」
すると、その人はこう言った。
「牡蠣はね、岩肌にくっついて、一生を終えるんだよ。人が来ても、剥がされるのを待っているんだ。」
僕は心の中で「まじかよ、牡蠣、逃げろよ」と思いながら、牡蠣を焼いて食べた。
僕はこれまで、1つ目の理由を増強して生きようとしてきた。
何かに挑戦し、楽しみ、認められることで、自分の存在価値を探していた。
でも違った。
何かをしていることに意味はない。意味がないからこそ、「せっかく」なので楽しむのだ。
楽しいことをするのだ。
僕に、僕たちに必要なのは、2つ目の生きる理由をもっと感じることだ。
もし明日、全財産を失おうとも、会社をクビになろうとも、
僕は存在していい。
カフェに向かう足取りは軽かった。
すれ違う人、みんな存在していい。もちろん僕も。
こうなれば、目指すものは、何気ない日常を楽しめる人。
僕は、牡蠣になりたい。