人生の指針

頭を整理するために思ったことを書いてます

INTO THE WILD

2022年が始まりはや3日が経過しました。

今年はどのような一年を過ごしたいか今一度考え直して、正月ボケを治すために行動するためにはいい日なんじゃないでしょうか。

 

そして僕は今年は厄年なので、厄払いに行ってまいりました。

 

今年は色々挑戦して、旅にも出たいなと考えています

 

そんな旅に出たい人におすすめの映画を紹介します。

 

タイトルは INTO THE WILD

 

この作品は、裕福で学歴も十分持ち合わせた主人公のクリスが

家族の期待をすべて振り切り、名前も変えてまで、自分の人生を自分が思う方向に進み始めました。

クリスはもともと感受性が豊かだという描写が多々ありました。

そして、中古のダットサンにてアラスカを目指しました。

様々な人と出会って話していくうちにクリスがどうして、すべてを投げ捨ててまで

アラスカを目指したのかが浮き彫りになっていきます。

そして様々な名言とともに、アラスカまで進んでいきます。

 

そんな名言を少し紹介します。

「物事は正しい名前で呼ぶこと。」

「生き方を大きく変えないと、新しい経験が人生を豊かにするんだ。」

 

など、壮大な自分探しの旅を彩る名言の数々、

物質社会である現実からの逃避。本当の幸福の追求。

そして、一人で大自然を生きたことで見つけたのは、皮肉にも誰かと人生を分かち合うことでの幸福さだった。

そしてそのときにつぶやく

「幸福が現実なるのはそれを誰かと分かち合ったときだ。」

という名言も飛びだします。

 

彼のように今までの人生を捨てる覚悟と、新年を突き通す強さを持って

どんな道であれ、信じて進み続けたいと思いました。

 

 

 

 

 

Midnight in Paris

美しい音楽とともににフランスの街並みや歴史的建造物を映し出すオープニングから始まるこの映画は

2012年5月に公開した ウディ・アレン監督・脚本の ミッドナイト・イン・パリである。

 

 

あらすじ

NYで売れっ子脚本家のギル・ベンダー(オーウェン・ウィルソン)は、婚約者のイネス(レイチェル・マクアダムス)と共にパリに旅行に来ていた。

ギルは結婚後はパリに定住し、脚本の仕事をやめ小説家を目指したいとイネスに話していた。

 

しかし、イネスはアメリカ以外での生活は考えれないとギルの意見を拒否。パリでの旅行中でも意見がすれ違う2人。そんなある晩、ギルはホテルに戻る最中に、迷子になってしまう。

途方に暮れ階段に腰掛けるギルの前に0時を告げる鐘の音が響き、1台のクラシックカーがギルをパーティへと誘う。

 

その会場にはなぜか、ギルが思いを馳せる狂騒の時代である、1920年代に実在した、芸術家と同名の人々と出会い、不思議なパリでの一夜を過ごすことになる。

 

 

 

フランスの街並みに心奪われるこの作品は

雨の日の昼下がりにコーヒーを片手に観てほしい。

きっと今までよりもコーヒーが美味しく感じ、

憂鬱な雨の日が少し好きになり傘もささずに散歩に行きたくなるだろう。

 

 

 

Happy New Year

あけましておめでとうございます。

2021年もあっという間に過ぎ去りました。

2021年のはじめに立てた目標も忘れてしまうほどに

日々の振り返りができてなかったなと感じております。

 

というわけで、去年の振り返りとともに

今年の目標をここに宣言したいと思います。

 

去年は様々な出会いや挑戦が多かった年だった。

 

挑戦の中にはco-op留学のための学校のreplacementテストのための勉強や

語学学校の期間を決めるテストなど色々と勉強し、来年のための準備をした年だった。

仕事では先輩の代打として様々な場所に飛ばされたり、新人の指南役に当てられたりと

一人前と認められつつあるなと実感のできる年でもあった

ただ、友達に合う機会が少なかったなと、岡山の地元のメンバーに会った記憶も無しい

寂しい一年でもあった。

 

そんな去年を踏まえて今年はCo-op留学本番に向けて、デジタルマーケティングや実践英語の勉強を毎日欠かさず行い。

SNSやこのブログの更新頻度を増やし、読者やフォロワーを増やしつつ、

地元の友達と会う機会が増えるようにする。

 

2022年は年男ということもあり、虎のように虎視眈々と目標に向かって努力する一年にするぞ。

 

運の総量

 

この世界には"運のいい人"と"運の悪い人"が存在する。

けれど、インスタグラムの投稿や友達はポエムのようなことを口にする。

「運の総量は平等なんだよハハとわらうから8×8=64この幸せが

シクシクと泣くから4×9=36この悲しみが合わせて100なんだよ」

 

この話を聞いた時、バカみたいに笑ってしまった。

僕は斜に構えてしまう性格で、悪態をついてしまうクソみたいな人間だ。

 

そもそもなぜ人生の運の総量が100と決まっているのか。

例えば幸せが6.4割 悲しみが3.6割とするならば

80年生きるとして

80×364=29120日を生きることになる。

そのうちの6.4割が幸せならば18637日が幸せな日々となる。

残りの10483日が悲しい日になるのだ。

 

まず、幸せや悲しいことなんか人によって違うのだ。

何でも幸せを感じれる人もいれば、何度も悲観的に捉えてしまう人もいる

それなのに運の総量は一緒と言われても困る。

 

僕は運の総量は人によって違うと思っている。

総量も違えば、良いことが起きるタイミングだって異なる。

 

運がいい人はずっと運がいいし、悪い人はずっと悪い。

結局の所それでも生きていかないと行けないのだ。

そもそもなんで運というものがあるのだろうか。

 

僕たちは運や神様といった、見えないものにすがりたがる。

運が悪かった。その一言で物事を片付けようともする。

見えないもののせいにして逃げるのだ。

 

自分の持っている手札の中から最高の戦い方を探っていくしかないのだ

ないものねだりをしている暇はないのだ。

 

けれどないものねだりができるのならば、

僕は何事にも楽しめる人でありたい。

 

斜に構えて、悪態をつく人生ではなく。

運が悪くてもその道中を楽しめて、いつも笑っている人になりたい。

 

運や神様なんかじゃ決して覆せないものは

楽しむという、かんたんなことなのかも知れない。

 

子供の頃は何でも楽しかったのに、歳を重ねるほどに、時間がすぎるほどに

物事が楽しめなくなってくる。

 

最近"よつばと"という漫画を読んで出てくる言葉があった。

"何でも楽しめるから、無敵なんだ。"

どれほどまでに心に響いたことか。

趣味は人脈を広げる

 

自分の正直な気持ちを吐いても理解してもらえない事が多かった。

そんな理解してもらえない気持ちをどうしようかと思っていた。

友達に何度も相談したが、理解していないようだった。

 

そんなことを考えなくてすむように、なにか趣味を持ちなよ。

趣味を持てば、趣味を通して友だちができる。

友だちにそう言われた時に、「わかってるんだよな」と邪険に思っていた。

けれど、”共通の趣味"というのは、異性とうまくコミュニケーションの取れない僕からすれば、

点から垂れる、蜘蛛の糸のようなものだよな。とも思っていた。

 

実際に趣味がないことはないし、けどその趣味は自己完結してしまう。

そこから繋がりが見いだせない。

 

とりあえず趣味の合う人を見つけようと、誘われた飲み会やご飯会に顔を出した。

その結果、Amwayに誘われたり、宗教勧誘や、詐欺グループに潜入したりもした。

危ない橋を渡る事になってしまった。

 

そこから、趣味の友達を探すことを諦めていた。

気の合う昔からの友人とご飯を食べ、お酒を飲めればいいと思っていた。

その時から、本当に行きたいと思う、ご飯や遊びにだけ行ってた。

 

そんな矢先、同期の子から、「今、女の子と飲んでてて、年下の子が良いって言う子がいるからこない?」と連絡があった。

 

僕は、23時だぞ?と思いながら、いつもなら断っているはずの飲み会に終電に乗って向かった。

僕がついた頃には、3人は出来上がっていた。(同期の男1人、女の子2人)

 

年下が好きな女性の横が空いていたので、靴を脱ぎ、そこに座り。レモンチューハイを頼んだ。

 

どうやら、その女性は”年上の男性”と同棲をしていたが、

家電を全て持ち去られて蒸発してしまったらしい。残ったのは、彼女の私物と、合鍵だけ。

 

“年上に騙された悲劇のヒロイン”を演じている自分に酔っているな。と心のなかで思っていた。

それが昨日の出来事にも関わらず、あっけらかんとしていたからだ。

僕は作り話ですよね?と失礼なことを聞いてしまった。

彼女は作り話なら楽なんだけどね、と目を伏せてしまった。

 

やってしまった。和気藹々としていた空気を一瞬で破壊してしまった。

その瞬間、脳をフル回転させ、どうこの状況を打開しようか考えたが、

どの発言、どの行動をとってもうまく行かなかった。

すると彼女が突然笑い出した。

僕があっけにとられていると、「靴下穴あいてんじゃん。」と言われた。

僕は急いで準備をしたから、靴下に穴が空いていることに気がついていなかった。

(しかも左右で違う靴下を履いていた。)

その瞬間にピリついた空気が僕が来る前の空気に戻った。

 

心の底から靴下に感謝した。(かえってすぐに捨てたけど)

 

彼女がお酒を次々に注文し、とりつかれたようにこの世界に悪態をつき始めた。

「ご飯なんて、どうでもいい。」「イルミネーションなんてクソだ。」

「梅田駅前、吐き気がする。」

そのどれもに僕は共感し、自分もそう思っていることを話した。

 

自分の正直な気持ちを白い目で見られないことに腰を抜かすほど驚いた。

僕の正直な気持ちを理解できる人などいないと思っていたからだ。

 

しかもそれが異性となれば、10万人に1人だと本気で思った。

 

“共通の悪口"を持つ人は"共通の趣味"を持つ人並みのコミュニケーションツールになった。

 

“この世界に共通の悪口を持つ人"が存在しないと思っていた僕は、精神的童貞だったのだ。

そして「存在しない」というものから、「いるにはいる」というものになった。

表面上は楽観的な性格

楽観的だね。とよく言われることが多い。

多分それは、八方美人で波風を立てたくない

僕が22年間を通じて学んできたことだと思う。

先輩が話すことに”ヘラヘラ”しながら相槌を打つ。

そうすることで、うまいこと世渡りをしてきた。

 

けれど飲み会の席の場で上司に対して媚を売っている先輩を見ると。

「ヘラヘラ媚び売ってんじゃねぇよ。」と思ってしまう。

蓋を開ければ僕がその先輩だと言うのに。

 

実際のところ僕は楽観的ではない。ただ何も考えていないだけなのだ。

先輩の話は右から左へ聞き流し、"ヘラヘラ"しながら別のことを考えている。

たまに意識を先輩の方に戻し、タイミングよく相槌やリアクションを取れば

先輩たちは満足する。僕は世渡りとはリズムゲームのようにこなしていた。

 

どうでもいいことについては、聞き流しているが。

自分に興味のあることについては、他人の話は聞こえないくらい集中してしまう。

 

そして、俗に言う楽観的なのは、”失敗しても反省して次に切り替えられたり”

"他人の批判を物ともせずに自分の道を進む"という人だろう。

 

僕は真逆の人間だ。失敗すれば、この世の終わりのように落ち込んでしまうし、

他人にどう思われるかを気にして行動が起こせなかったりする。悲観的な人間なのだ。

けれど表面上ではそうは思わせない。顔には出さず、心にしまっておくのだ。

表面上では"ヘラヘラ"した作り笑いを浮かべている。

だから周囲の人は僕のことを"楽観的"というのだろう。

 

小学生4年生の山の学校でグループの班長になった時、グループ内の意見をまとめようとすると、

班長ぶってんじゃねぇよ。」と言われた。実際班長なのにだ。

 

その言葉が今の僕の行動を制限する。人目につくことの恐怖を知った。

それから、僕は人の目を気にして行動することが多くなった。

そして、人前に立たずに、”ヘラヘラ"するという技を学んだ。

その技は、入社してからや接客のバイトのときにはすごい役に立つことになった。

 

接客の呼吸 一の型 「愛想笑い」

 

そんな影に潜んでいたかった、”僕に変革の時がやってきた。"

 

いじられキャラという立ち位置を得てしまったのだ。

いじられキャラは、クラスでも目立つ部類に入る。

1軍のいじりに対して、的確にかつスピーディに返答しなければならない。

少しでもズレが有ると、"つまらないやつ"になってしまう。諸刃の剣のような立ち位置だ。

 

入社してから、1ヶ月半本社で研修があった。僕は50人の同期の中で、

「あぁー、いたなそんな奴」という立場にいたかったのに、

気がつけば、いじられキャラという立場を確立していた。

人事の人の「デモンストレーション誰かやってくれない?」の一言の後、

誰も手が当たらなければ「えっ?理樹やりたいん?」という声と笑い声が上がるほどだった。

目立ちたくない僕は、いじめだな。この会社に居場所はないと思った。

(実際にいじめではなく、昼休みもみんなでご飯に行っていたし、GWにはディズニーにも行った。)

そしてデモンストレーションを行う際は、大喜利のようにどこかでボケを挟まないといけなかった。それがトップバッターでいじられキャラの僕の役目だったからだ。

支店配属されてからもその立場は変わらなかった。

本社研修で一番いじってきていた人が、同じ支店だったからだ。

 

僕は野球でいうと7番セカンドくらいの立場で引退をしたかったのに、

気がつけば1番ショートくらい目立つところに立っていた。

 

僕は会社で必要な知識なんかより、幹部の世代にウケる例えを学ぶことに精を出している。

「媚び売ってんじゃねぇよ。」過去の自分からの激が聞こえてくる。

影響を受けたNBA選手

 

何気なくTVを見ていた。面白い番組がないかと、チャネリングをしていた。

すると何気なく選んだBSの番組で黄色ユニフォームを着た選手がボールを高らかに上げる瞬間だった。何気なくつけたテレビに心が動かされるとは思っていなかった。

そのテレビの瞬間はレイカーズvsセルティックス2010年のNBAファイナル第7戦だった。

今でもその瞬間を覚えている。

高らかに上がったボールを走って追いかける選手。

そのボールを掴み、喜びを噛み締めていた。

優勝の瞬間だけしか見てないと言うのに、テレビの前で立ち尽くしていた。

それほどまでに黄色いユニフォームを着てボールを抱えて涙する選手は輝いて見えた。

 

その時からバスケを初めてはいたが、NBAに興味はなかった。

しかし、ちょうど優勝の瞬間見たというところに僕は運命を感じた。

 

後に、その選手が"コービーブライアント"というNBAのレジェンドだったと知る。

そのまま僕はコービーに憧れた。

 

彼のバスケに対する熱量や、"レイカーズ"一筋という思いは、

熱しやすく冷めやすいタイプの僕の心に凄まじい衝撃が走ったのを覚えている。

彼のハイライトプレーや試合動画を何度も見直し、彼のプレーを真似していた。

彼は僕にとって、先生だった。

彼は引退をしても偉大なプレイヤーだった。

何度も試合に足を運び、現役選手にアドバイスをする。

 

そんな中、バスケ界、いや世界中に衝撃と悲しみが走った。

コービーのヘリコプターでの死亡事故だった。

彼のニュースはまたたく間に世界を駆け巡り、

遠い島国日本にいる、僕の耳にまで入った、

自分に関係する人(身内や親戚)以外の人の死ではどこか他人顔だった僕が

実際に会ったこともない人の死でこんなにも心が凹むとは思わなかった。

彼のニュースを見てから、何をしていても彼のことを考えていた。

これほどまでに、僕の人生に彼が大きな影響を及ぼしていたとは

自分でも気づかなかった。

彼は今でも僕のヒーロであり、先生であり、影響を受けた選手の一人である。

 

R.I.P Kobe Bryant